依存する生活
依存という言葉から連想されるものといえば、アルコール依存、タバコ依存、ギャンブル依存といったものが思い浮かぶでしょう。どれも、規則正しい生活を送る人にとっては、無縁の事柄であり、大抵の人は、依存とは無縁だとお思いでしょう。ところが、依存というものは、もっと身近なもので、誰しも持っているものと私は思います。
自分自身の日常の生活を思い浮かべてみてください。何か、異常に執着するような行動はありませんか?それが、自分の生活に悪影響を及ぼしてはいませんか?少しでも、そう感じたのならば、それは、依存のはじまり、もしくはすでに依存しているのです。
そもそも、依存とは、固有のものや行動に対して、大量、長時間、長期間にわたり執着することです。その結果、日常生活に影響をきたし、暮らし、仕事、勉強意欲の放棄や減少させてしまうのです。依存度が強ければ強いほど、精神的、肉体的に疲れていたとしても、つい、執着してしまいます。
依存の厄介なところは、自分自身が心理的な防衛機制を使用してしまう点にあります。「やめようと思えばやめられる」と、自分は大丈夫なのだと自己暗示するのです。
「毎日がつまらない」「僕は不幸な人間だ」など、消極的な意見が多い人ほど、何かに依存するようです。「法律で悪いと決まってない」「やれば落ち着くから良い」と、都合のよい言い訳を思ってしまう人も依存しがちです。
依存による影響が些細なものであれば、あまり気に止めることもないのでしょうが、人間の欲求というものは大きくなるものです。欲求が大きくなれば、依存の対象も大きくなり、その清算も大きくなります。そのような事態に陥らないためにも、不安的な依存要素を、芽の段階で摘み取っておく必要があるでしょう。
とはいえ、依存対象の中には、現代の生活には欠かせず、完全にやめることはできないものが、とても多いです。どこまでが通常で、どこからが依存と感じるかは人それぞれですので、誰かに線引きを決めてもらうことはできません。
何が好きか。何がやめられないのか。自分で自分をしっかりと把握し、それぞれに見合った適正量を見つける必要性があるでしょう。
